汐留pitで運命感じちゃったから

愛する音楽について熱く語ります

彼が此処にいる証

永遠の『Night Diver』

三浦春馬が残したものー

 

七月、衝撃的な哀しいニュースが世間を騒がせている中、音楽番組で三浦春馬の『Night Diver』のミュージックビデオを一目観て釘付けになった。

辻村有記作詞作曲の楽曲自体の魅力もさることながら、三浦春馬の全身全霊を賭けた踊りの凄味に、普段のほほんと生きている私は身の毛がよだつような畏れを抱いた。

 

映画や舞台、ドラマやテレビ番組にも多数出演しありとあらゆる場面に引っ張りだこだった三浦春馬

その一方でコロナ禍でもファンのことを一番に想い、SNSではプライベートで自作の料理を公開したり弾き語りをしたりと、どう考えても生きている時間と働いている時間の割合がおかしかったように感じる。

表舞台に姿を見せない時間に演技の台詞を覚えたり、歌や踊りのレッスンをしたり、イメージトレーニングをしたり、いくら器用な彼でも時空が歪まない限り全てを完璧にこなすなど不可能なのでは無いかと疑うほどに。

一日が二十四時間の計算では、任された務めを果たす時間が圧倒的に足りず、彼に残されていたはずの数十年を自ら奪って使い切ってしまったかのように思う。

 

そんな毎日の中で彼が何の肩書きも無い「只の三十歳の男性」に戻れる時間はほんの僅かでもあったのだろうかと思うと、特別にファンではなかった私ですら、胸をきつく締め付けられる。

 

一体彼が何を思ってこの世界に別れを告げたのかは知らないし、わかるはずもない。

事実として言えることは、彼がこの世から去ってしまったことと、彼の生み出した作品が永遠にこの世に残るということだ。

『Night Diver』の世界に在る光と闇に憑依して踊る彼を見て、確信した。

ああ、彼は遂に芸術作品そのものになってしまったのだ、と。

まるでそれは『大好きな絵の中に閉じ込められた』赤い靴下を履いた少女のように。

 

人々の心を貫くものには必ず命が宿っている。

それを芸術と呼ぶのなら、彼はそれを完璧に体現して「三浦春馬」を生き切ったのだ。

奇しくもこの世とあの世を繋ぐ名作となった『Night Diver』は何度観ても何度聴いても、生きることの苦しみと希望が何層にも重なり、私たちに人間の本質や矛盾について、問い質してくる。

 

さまざまな哀しみに押し潰されてまだ立ち上がれないひとへ

いつかこの作品に向き合える時が訪れたなら、

貴方の今、生きている瞳や鼓膜や肌に、この素晴らしい映像と歌声と音楽、空気全てを焼き付けて欲しい。

そしてどうか不意に襲って来る夜の闇に飲み込まれずに、三浦春馬が命を削って残してくれた作品を愛し、闇を光に変える戦いに打ち勝って欲しいと、心から願う。

 

その時にこそ、彼の苦悩や葛藤のすべてが、報われる気がするからだ。